【井伊宗観】いいそうかん
【井伊宗観】いいそうかん
文化12年〜安政7年(1815-60)。
名は直弼(*1)。
幕府の大老として米国と通商条約を締結、後に桜田門外の変で暗殺された。
石州流の茶の湯をよくし、「12ヶ月棗」などの好み道具のほか、
『茶湯一会集』『茶湯をりをり草』などの著書もある。
*1 なおすけ
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成20年9月5日
【伊木三猿斎】いきさんえんさい
【伊木三猿斎】いきさんえんさい
文政元年〜明治19年(1818-1886)。
備前岡山藩主池田侯の家老で、裏千家の茶を学び、自邸内に利休堂の他、十有余の茶室を設ける。
領内に虫明焼(*1)を興し、京都より、仁阿弥道八(*2)、宮川長造(*3)らの陶工を招いて製陶の指導に当たった。
*1 むしあけやき
*2 にんなみどうはち
*3 みやがわちょうぞう
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成20年12月5日
【伊藤左千夫】いとうさちお
【伊藤左千夫】いとうさちお
元治元年~大正2年(1864-1913)。
歌人・小説家。
正岡子規に師事し、歌誌「アララギ」の中心となり、『野菊の墓』などの小説を書いた。
若い頃から茶湯を学び、晩年には『唯真閣』という茶室を設けた。
茶湯に関する歌も多く残す。
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成19年12月14日
【井上世外】いのうえせがい
【井上世外】いのうえせがい
天保6年〜大正4年(1835-1915)。
名は聞多(*1)、ついで馨(*2)と改めた。
長州出身で、倒幕運動のリーダーとして活躍。
元老として明治の政財界に重きをなした。
茶湯に親しんだのは益田鈍翁らの誘いによるもので、邸内に東大寺四聖坊八窓庵の茶室を移築。
*1 もんた *2 かおる
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成20年7月18日
【正親町天皇】おおぎまちてんのう
【正親町天皇】おおぎまちてんのう
永正14年〜文禄2年(1517-93)。
永禄3年(1560)、毛利元就の献金により即位。
在位30年。戦国乱世で衰微していた朝廷の式典などを整備。
豊臣秀吉の宮中茶会で知られ、千宗易に『利休』の居士号を勅賜。
和歌・書をよくする。
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成20年11月7日
【岡倉天心】おかくらてんしん
【岡倉天心】おかくらてんしん
文久2年〜大正2年(1862-1913)。
美術評論家。
アメリカの美術批評家フェロノサのもとで日本美術の復興に努力する。
明治39年にニューヨークで出版した「茶の本」は後に、仏・独などでも翻訳され
茶道文化を広く世界に紹介するものとなった。
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成20年4月6日
【織田有楽】おだうらく
【織田有楽】おだうらく
天文16年〜元和7年(1547-1621)。
織田信長の弟で、利休七哲の一人。
信長の覇業を助け、本能寺の変後は御伽衆として豊臣秀吉に仕える。
晩年は京都に隠棲、茶室「如庵(*1)」を営む。東京の『有楽町』は織田有楽の屋敷跡にちなむ名。
*1 じょあん
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成20年1月25日
【金森宗和】かなもりそうわ
【金森宗和】かなもりそうわ
天正12年〜明暦2年(1584-1656)。
飛騨高山城主 金森可重の長男。
名は重近、号は宗和。
その茶風は『姫宗和』といわれ、特に公家の茶湯に貢献するところが大きい。
陶工 野々村仁清を指導し、優美な作品を作らせた。
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成19年11月2日
【北向道陳】きたむきどうちん
【北向道陳】きたむきどうちん
永正元年〜永禄5年(1504-62)。
本姓は荒木だが、北向きの家に住み、北向と改めたという。
空海より東山流(将軍家茶湯)の茶法を受け、唐物目利きとしても知られたが、
門弟の利休を武野紹鴎に推薦し、その弟子とさせた話は有名である。
まぐまぐ!【ぶろぐ『茶道百字事典』】登録日平成20年4月18日
【津田宗及】つだそうきゅう
【津田宗及】つだそうきゅう
?〜天正19年(1591)。
安土・桃山時代の茶匠、商家。屋号 天王寺屋。
父 宗達から紹鴎流の茶を学び、和歌・聞香・刀剣の目利きなどにも長じていた。
織田信長・豊臣秀吉の茶頭(*1)となる。
また、北野大茶湯には利休と共に指導役となった。
*1 さどう

茶道の流儀や歴史